リムくん、旅に出る

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埼玉も栃木と似たり寄ったり

北関東への旅 思ったこと

「埼玉も栃木と似たり寄ったり」

 先日北関東へ自転車で行ってきました。北関東ってどこを指すのかっていうのは人によっていろいろ考え方があるとは思いますが、よく言われるのは「栃木、群馬、茨城」ですよね。ですね、はい。

 

 栃木県県南部出身の僕としたら小山と宇都宮って違うけれど、古河とか久喜とか蓮田とかには似てるって感じるんですよね。ただ僕の感覚ですよ。

 これは裏を返せば蓮田よりも北はほぼほぼ栃木みたいなもんってことになりますね。でもさいたま市民はそういう風に感じてるのかもしれませんが。

 

自転車はとっても便利な乗り物だけれど...

 自転車って便利なものでずっと漕いでいると勝手に目的地に着くんですよね。まあ普通のママチャリだとしんどいですが、ランドナーとかロードバイクとかなら結構ラクに行けたりします。

 ロードバイクって言っても色々種類があります。僕が乗っているやつはランドナーっていう自転車です。ランドナーって一言でいえばママチャリとロードバイクを足して2で割ったような自転車です。

 ロードバイクの形はしているけど、ママチャリのような太いタイヤを履いていて荷物を積んで色々な場所へ旅ができるような設計の自転車がランドナーです。ただランドナーを扱っているお店がすごく少ないです。残念ながら。

 

 自転車に厳しい埼玉県

 さて埼玉を出るまでが結構大変でした。信号が多すぎて進まないとかバイパスを通らないといけないために車道に出れなかったとかで無駄に時間を食ってしまいました。ちょっとしんどかったです。朝の8時に出て途中休憩を挟んで埼玉を脱出したのは11時だったので休憩を抜いても2時間以上は掛かってしまいました。はい。

 

 さいたま市の自宅を出て県庁前から17号に沿って北浦和新都心、大宮に進んでいきました。大宮駅の方から氷川神社の方へ進み、東大宮の方のチョイ先から県道3号線に入り蓮田、白岡、久喜へ抜けて国道4号線に入りました。

 

 ざっくりしすぎて申し訳ないですが、たださいたま市を脱出するまでに1時間かかってしまったのは正直大きいですね。戸田なら5分もかからないのに蓮田までだと1時間もかかっちゃうんですね。もっと走りやすい道を探そうと思いますが、産業道路ならどうだろうって一瞬思いました。

 

 もっと走りやすかったらなって思いました。

 

 次回は栃木県について書きたいと思います。■

 

 

 

 

 

自転車というのは本当に旅に向いていると思う

 筆者は自然の中でバーベキューをしたり星空を見ながら夜を過ごしてみたりしたくて自転車やテントを買ったのが2年前の話です。野宿だったり、バーベキューだったりあまり子供の時にはできなくて、自転車を買ってからちょくちょく遠出していろいろな景色を楽しんでいます。

 

  1人暮らしになってバイトをしてお金を貯めるようになってから自分の夢を追いかけようと思い、ちょっとお金が貯まってランドナーを買いました。

 ランドナーは旅用の自転車で荷物をたくさん積んで長旅ができるようになっています。それで自分でいろんなところへいくようになるにつれて前々から憧れだった野宿に挑戦するようになりましたね。

 人生初の野宿は銚子への旅でした。児童公園の片隅にテントを立てて寝ました。人に襲われるんじゃないかと心配してましたが、意外とイケた。凄く達成感があって面白かったです。それ以降、出来ていないので少しずつ実行して行こうと思います。

 そのあとは多摩や熊谷、房総、栃木、群馬、秩父など様々な場所へ行きました。自転車だから車みたいにすぐにたどり着くものではないから時間がかかります。当然ですが。でも自転車のスピードぐらいだと本当にちょうどいいんですよね。何がちょうどいいかというと景色を楽しむ余裕があるということです。自転車のスピードぐらいだと景色を楽しめるんですよね。

 あと自転車なら好きなとこにすぐ立ち寄れるし、あまり駐輪場のことを考えなくていいのですごく使い勝手がいいやつですよね。笑

 

 もっと自転車の旅を発信できるようにしていければなと考えています。■

 

 

自転車というのは本当に旅に向いていると思う

 筆者は自然の中でバーベキューをしたり星空を見ながら夜を過ごしてみたりしたくて自転車やテントを買ったのが2年前の話です。野宿だったり、バーベキューだったりあまり子供の時にはできなくて、自転車を買ってからちょくちょく遠出していろいろな景色を楽しんでいます。

 

  1人暮らしになってバイトをしてお金を貯めるようになってから自分の夢を追いかけようと思い、ちょっとお金が貯まってランドナーを買いました。

 ランドナーは旅用の自転車で荷物をたくさん積んで長旅ができるようになっています。それで自分でいろんなところへいくようになるにつれて前々から憧れだった野宿に挑戦するようになりましたね。

 人生初の野宿は銚子への旅でした。児童公園の片隅にテントを立てて寝ました。人に襲われるんじゃないかと心配してましたが、意外とイケた。凄く達成感があって面白かったです。それ以降、出来ていないので少しずつ実行して行こうと思います。

 そのあとは多摩や熊谷、房総、栃木、群馬、秩父など様々な場所へ行きました。自転車だから車みたいにすぐにたどり着くものではないから時間がかかります。当然ですが。でも自転車のスピードぐらいだと本当にちょうどいいんですよね。何がちょうどいいかというと景色を楽しむ余裕があるということです。自転車のスピードぐらいだと景色を楽しめるんですよね。

 あと自転車なら好きなとこにすぐ立ち寄れるし、あまり駐輪場のことを考えなくていいのですごく使い勝手がいいやつですよね。笑

 

 もっと自転車の旅を発信できるようにしていければなと考えています。■

 

 

リスクマネジメント

 自分は接客業をしているが、接客のリスクマネジメントをもっとすればストレスがなくなるのになって思うことが山ほどある。


 当然だが、こちらのミスで迷惑や不便な思いをさせたことを申し訳なく思うべきである。だが、対応はできる範囲でしかできないしそれ以上のこと求められても出来ませんとしかいいようがない。
  お客がどうして欲しいのかだとかあるいは何に怒っているのかを聞くことでお客が平静を取り戻すし、こちらも落ち着いて対応することができるが、残念ながらどうしようもない場合も多々あるのが事実だ。


 そこで必要なのはリスクマネジメントであると筆者は強く感じる。要するにどこまでお客と見なし、どこからはクレーマーとして扱うのかという話だ。

 例えば土下座を強要するとか慰謝料を請求するとかなどに発展した場合は
「お客様の主張は強要罪にあたるためにできない。それでも引き取りできない場合は警察を呼ぶ。」
とはっきりと告げる。そうすれば無理な要求を跳ね除けることができる。

 

 このようなちょっとしたことであろうが、基本的な知識が欠如しているために接客業につく人が屈辱を味わうことも往々にしてある。

 

  基本的な教育が接客業に従事する人を救うと思う。だがそのような教育がまだまだ足りないのが現状に感じる。■

 

震災に想うこと

 2011.3.11ー
 
 先の震災から丸8年が経つ。当時中学生だった筆者も成人を過ぎた。8年は長いようであっという間だったなと感じる。そのような感覚で10年、20年…そして歴史上の1つの大きな出来事へと変化していくのではないだろうか。本来はそのようなことはあってはならないことだが、人は忘れる生き物である。だからこればかりはどうしようもないことではないだろうか。それが現実だのだろう。
 
 久しぶりに宇都宮を訪れたが、街では震災に関するイベントが行われていた。ステージでは涙を流しなら登壇者が感じたことを発表していたり、街頭では高校生がイベントに参加するように呼びかけていたりしていた。何も感じることはなかった訳では無いが、筆者イベントを横目にただただ素通りしてしまったが。

 震災について色々な人が色々なことを想うことであろう。筆者は当時栃木県の小山に住んでおり、自分の身の回りでは家が倒壊するとか人が死ぬとかなどの大きな被害はなかった。だけど震災の直後から停電になり、暗くなったらすぐに寝てしまったことを今でも覚えている。九州や外国にいる親戚からの連絡があって、気仙沼が火の海になっていることもそこで知った。想像でしかなかった津波の被害。翌日の朝刊で凄惨な被災地の状況を知った。
 
 確かに被災者といえばそうではあるが、家族や友人が死んだとか家や街がメチャメチャになったとかと比べれれば被災者と当たると言えないのではないかと思う。だからここで書くことはどうしても第三者的な主張でしかないことを予め断りをいれておく。

 筆者はよく災害だけでなく人が命を落とすことについて考えてきた。というよりも結構幼い頃から考えてきた。どうして考えるようになったのかという話は割愛するが、両親の影響が大きかったと思う。
 
 とにかく例え今がどんなに健康で体力があったとしても明日生きてるかどうかなんて日本人はあまり思わないだろう。よっぽど死が差し迫っている場合以外は死について考えないのが普通である。

ドリンクバー

 

 家から近くのデニーズが改装されたらしく今朝いってみた。最近デニーズではドリンクバーが設置されている店舗が増えてきていたが、この店舗も例外では無かった。
 
 新しいことが入れば例え小さくても人の流れは変わる。ドリンクバーによってお客は立ち上がり、そして人の流れが活発化する。個人的にはドリンクバーがある方が助かるタイプで、ドリンクバーがなかった為に今まで敬遠してちょっと遠くのジョナサンに通っていた。
 
 種類も多くて、セブンに入っているコーヒーマシンまで設置されていた。といっても胃がそんな強くないので積極的にコーヒーは飲まないのだが。ラテとかミルクティーとかオレンジジュース(OJ)とか飲むことが多い。
 
 お客さんはどう考えているかなんて分からない。前の方が良かったと店員さんに愚痴をこぼすお客もいた。店員さんも気持に寄り添うことしかできないであろう。上の決定にあらがうことすらできない。というよりも変化に対してお客さんがなじめるように寄り添えるような接客が求められるのであろう。
 
 とはいっても喜ぶお客さんは一定数いることも事実。お客さんが来て良かったと思えるような接客、サービスをいつまでも続けていただけたらいいなと思う次第である。
 
 

自分の力で生きなきゃなって思った瞬間

 ちょうど2週間程前に映画を見に新都市言った時に感じたことをまとめていたので綴ろうと思う。

 

 バイトばかりやってないで自分の力で生きてけよって思った瞬間がまさに今日だったりした。


  「あの頃、君を追いかけた」、見たよ。正直駄作だな思った。正直もっと巻けよって思って観てた。正直なところ、齋藤飛鳥を見るための映画だなって思った。こんな素人が言うのもアレだが、久しぶりに映画らしくない映画を見た感じがする。

 

 ネタバレ承知で書いてしまうけど、早瀬真愛(齋藤飛鳥)と水島浩介(山田裕貴)は結婚出来なかった。(話の筋も書かずにオチを言うのは最悪)だけど、思えばそれは妥当な結末だと思う。身分不相応だし、それに結婚しない方が恋愛として永遠に続いていくものなんだろうって感じたね。


 人生初のエンドロール見ずに出ていった映画だったかもしれない。だから予告編で齋藤飛鳥がウェディングドレス姿で涙を流すところを見てたからって言うのもあったから再度見る必要はないだろうって思った。それぐらい見るに値しなかったと思う。いつも映画を観る前にオチまで読んでから観るけど、今回その作業を端折ってしまった。やっぱ結末まで読んでから判断すべきだったと後悔した。


 作りのディテール、凄く拙かった。日本に合わせた形で話を修正するか頭から尻尾まで台湾で撮れよって感じた。特に卒業のシーズンが台湾と日本で異なるという点に関しては非常に観ている者を混乱させる作りになっていたことがとても良くないと思う。こういうところを配慮しない点は自分は嫌いだ。


  恋愛ってあんな感じなのかなってちょっと疑ったかな。齋藤飛鳥は恋愛せずに10代を過ごしたところがあるからこの役を務めるのは正直難しかったと思う。もし違うメンバーがやったらまた違う感じなのかなっても思った。あと、みんな同じ人を好きになるって作品の作りからして欠陥品だなって感じる。そんなことってあんまないっしょ。ちょっと話としても拙かった。だけど話を練るのって難しいよねって同情するとこもある。


 ここまで作品をdisってきたけど、正直あの映画は構成とか構図とか修正するとかなり良くなったんじゃないかって思う 。と言うよりもあんな感じの作品を映画にするって正直非常に難しいと思う。だからそこの部分を少し差し引かないといけないよね。


 あの映画は金を返せっていう内容だったか。

 

 正直見て損は無かったと思う。理由は140分映画のうち0.1秒でもなにか掴めればそれでいいと思ってるから。つまりはあの作品から何か掴めたからそれでいいと思ってる。それを味わえた瞬間はトータルで3分弱ぐらいだったかな。


 もっと全力疾走しろって自分に対して思った。自分がもっと成長するために、今に満足せず、走り抜けることが大事なんだなってあの映画見てる時に感じたかな。


 ちょうどバイト先で心が折れていた状態で見ていた。だからバイトで心を擦るぐらいならもっと違うことにエネルギーを注げよなって思った。まあバイトで学べることはあるけれどしんどいし、自分をきちんと養えるだけの金を稼がないとって正直なところ思っていた。


 自分の人生なんだしよく考えて生きることと悔いの残らない生き方をしろよってことかな。要するにそういうことをあの映画は教えてくれたと思う。